千鳥屋は4つの会社
年末年始に千鳥饅頭に干支の焼印が押された干支饅頭が販売されているのポスターで見かけた。
帰りに買おうと思って駅の千鳥屋に入って干支饅頭を見たら、ぜんぜん違う焼印が押してあったので、買おうと思っていた干支饅頭をお店の人に聞いたら「他社なので分かりません!」とちょっと嫌そうな感じで言われました。
そういえば4兄弟で別会社になっているのだったなぁと思い出しました。
結構前にそれぞれの会社のHPで沿革を調べたときは、どこがどうなったのか分かりづらいなと思っていたのですが、wikipediaやらニュースやら裁判記録から情報を集めてきました。
いろいろ見ていくとお母さんが、兄弟が争わないようにと頑張っていたのに、結局、人は争ってしまうのね。
そういえば、私が子どものころに近くにあったお店は、五男の千鳥屋本家としてまだ残っていてなんだか嬉しい。
各社の簡単な見分け方はコレ!
調べていくと簡単に見分ける方法が分かってきました。
『チロリアン』を見れば簡単に判別可能ですね!
- チロリアン:次男の千鳥饅頭総本舗
- プレミアムチロリアン:三男の千鳥屋宗家(今後変更の可能性もある)
- ヨーデルン:五男の千鳥屋本店
判別してどうする?という疑問があると思いますが、別れてずいぶん経つので結構味が違ってきているらしいし、どこのお店で買いたいなという意思があれば判断に使えます!
では把握できた時系列!
1630 | 原田家、佐賀県佐賀郡久保田町に『松月堂』創業 |
1927 | 原田政雄が、福岡県嘉穂郡飯塚町の永楽通商店街に松月堂の支店として「千鳥屋」開業。千鳥饅頭発売! |
1939 | 松月堂を閉じ、千鳥屋を「千鳥屋飯塚本店」に変更 |
1945 | 強制疎開で飯塚本店が壊されたため、飯塚川の対岸へと移転 |
1949 | 福岡市の新天町商店街に「福岡支店」を出店 |
1954 | 原田政雄が死去。経営を妻の原田ツユが継承(子どもは五男三女、四男は夭折している) |
1962 | 次男・原田光博が「チロリアン」を考案 |
1963 | 次男・原田光博が菓子作り修行のためにドイツを訪れたのちに千鳥屋からドイツ菓子やベーカリーなど別会社を創業 |
1964 | 東京千鳥屋を長男・原田良康が担当 |
1972 | 五男・原田利一郎が千鳥屋飯塚本店を継承 |
1973 | 大阪千鳥屋を三男・原田太七郎が担当 |
1986 | 五男・原田利一郎が千鳥屋飯塚本店を千鳥屋本家に変更 |
1986 | 五男・原田利一郎が千鳥屋の菓子製造部門を法人化し、株式会社チロリアンを福岡市に設立 |
1992 | 長男・原田良康が千鳥屋総本家を設立。不動産売買・賃貸業を目的に東京千鳥屋ビル株式会社を設立。 |
1992 | 三男・原田太七郎が大阪千鳥屋を「千鳥屋宗家」として法人化 |
1995 | 原田ツユが死去。不動産遺産で裁判になる |
1995 | 五男・原田利一郎が千鳥屋の菓子販売部門を法人化し、千鳥屋販売株式会社を飯塚市に設立 |
1997 | 次男・原田光博が株式会社千鳥屋ファクトリーを設立。 |
2004 | 次男・原田光博が株式会社千鳥饅頭総本舗に社名変更 |
2006 | 次男・原田光博が2002年から2004年まで等級の低い材料を納入していたと納入業者を訴える |
2010 | 五男・原田利一郎が新天町商店街にフランス菓子店「菓子処 典」を開店 |
2013 | 五男・原田利一郎は代表を退き、子ども長男・原田実樹宜が代表取締役社長を務め、子ども次男・原田佳典は「菓子処 典」を担当(楽天ショップの代表は2024年でも利一郎になっている) |
2016 | 長男の千鳥屋総本家が負債総額23億円で東京地裁に民事再生法の適用を申請。神戸の中古車販売会社ジーライオングループの傘下になる |
2017 | 五男の「菓子処 典」が「Patisserie 一実」に変更し移転 |
2018 | 三男の千鳥屋宗家が次男の千鳥饅頭総本舗に関西地区での販売をしないよう提訴したが敗訴 |
2019 | 次男の千鳥饅頭総本舗が他社では『チロリアン』の商標を使わせないと提訴 |
2022 | ジーライオングループが千鳥屋関連事業を廃業し、長男の千鳥屋総本家は全店閉鎖 |
2022 | 次男から訴えられていた五男の千鳥屋本家がチロリアンの商品名を『ヨーデルン』に変更し5000万円支払うことで和解 |
兄弟のまとめ
長男 原田良康 | 千鳥屋総本家 | www.chidoriya.com(閉鎖) 関東地区を担当し、巨大テーマパークとも取引があったが資金繰りが悪化。 破産手続を行ない店を手放したが、のちに廃業して消滅した。関東地区は空白地帯となる。 良康は、妻の万紗子とともに、原田つゆが別荘として使っていた福岡県の糸島に転居。 作ったマーマレードなどを『千鳥屋糸島別荘』というお店で販売。(まだ「千鳥屋」の名称は続けるのね) |
次男 原田光博 | 千鳥饅頭総本舗 | www.chidoriya.co.jp 次男がチロリアンを考案。創作菓子やパン店を開き千鳥屋を発展させ、社会活動にも積極的。 (断片的な情報で想像になるが、次男の手法に付いていけないと反発されて千鳥屋を継承できずに独立したように見える。なんだかジョブズみたい) 2008年に光博が亡くなると妻ウルズラが共同所有の不動産について裁判など起こす。 孫の代で関係が改善し千鳥屋総本家と商品の融通などが出来ていたようだが負債の影響を受ける さらに子どもの3兄弟も内紛に陥る 3兄弟の次男が父親が残したパン事業を閉鎖させまいと株を放棄するかわりに独立 スベンスカ→BROT LAND チロリアンの商標を侵害していると訴える |
三男 原田太七郎 | 千鳥屋宗家 | www.chidoriya.jp 関西地区を担当 千鳥饅頭は「本千鳥饅頭」という商品名で、チロリアンは「プレミアムチロリアン」 次男の千鳥饅頭総本舗が関西のスーパーでチロリアンの量り売り、百貨店で千鳥饅頭などを販売して安価販売を実施したため、それぞれの地域を侵害しないという母・兄弟の合意が守られていないと提訴したが敗訴した 表立って言っていないようだが、東京で展開していた千鳥屋総本家の一部を引き継いでいる 『みたらし小餅』というオリジナル商品は大阪名産品として選ばれている |
四男 | 若くして亡くなる | |
五男 原田利一郎 | 千鳥屋本家 | www.chidoriya.net 株式会社チロリアン 考古学者、歴史学者みたいな肩書きもある模様。 父親が興した本店で母を支えて次男と一緒に運営していたが、母が亡くなり色々あったようで、五男が代表となる。 子どもは二人。下の子がパティシエを目指したため『菓子処 典』を作る 次男の千鳥饅頭総本舗に訴えられてチロリアンをヨーデルンに変更。チロリアンというお菓子は作れないが、会社名はチロリアン。 |
千鳥屋マップ
次男と五男の店が福岡市周辺でぶつかっている。
関東はほぼ千鳥屋が絶滅。
通販ではどこも「千鳥屋」というお店
ショッピングサイトで見かけるのは、五男のお店のようですね。
三男のお店はなく、ふるさと納税の返礼品になっているようです。
千鳥饅頭 箱12個入 和菓子「千鳥屋」
次男の店はチロリアンオンリーですね。
コラボ商品がいっぱいあっておもしろいです。食べてみたくなりました。
【サンリオ コラボ】 チロリアン × シナモロール 缶入り 千鳥屋 楽天市場店
コラボ単品 くまモン×チロリアン 濃厚ミルク味 1袋8本入
チロリアンの商標経緯
チロリアンの商標がよく登場します。三男が訴えた裁判記録からこんな感じです。
三男の訴えはチロリアンの商標権も1/4だよねという主張でした。
- 長男が雑誌からチロリアンという名称を見つけてくる
- 1962年、長男と次男がチロリアンを開発
- 1963年、商標権を『和泉製菓株式会社』が登録
- 1964年、商標権を和泉製菓から譲り受けて、長男に移転登録
- 2010年、経営悪化のためか、商標権を『その孫』に移転登録(参照できる裁判記録からだと、長男か次男のどちらの子どもかよく分からない)
- 2014年、次男の千鳥饅頭総本舗に移転登録
あとがき
裁判記録をいくつか見ていると、それぞれの主張が違っているのでその部分に言及するのは難しいですね。口約束とか、曖昧な同意は意味のないものになっていました。
不動産で失敗したのが切っ掛けなのか分かりませんが、長男の関東地区が廃業してしまうほど、厳しい状況になっているようです。千鳥饅頭やチロリアンに支えられてきましたが顧客の年齢層も上がり、これからどんどん大変になっていきそうですね。
余計なお世話ですが、そろそろ力を合わせてみてもいいんじゃないのかなと思いました。だれか音頭をとってくれるキーパーソンが現れてくれれば奇跡的に。。。
いつまでも千鳥饅頭は残っていって欲しいです。
各社の千鳥饅頭を食べ比べてみるかなぁ。
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