システムのすやり霞

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日本画の表現手法に『すやり霞(がすみ)』というものがある。
街中を俯瞰した絵に、霧(きり)や金雲(きんうん)を配置して部分的に見えなくする。
これは、見えない部分が余白や省略の機能を持つ。
もちろん、隠れている部分がどうなっているかを窺うことが出来ない。

この すやり霞 のようなレイヤー、ユーザーとシステムの間に立ちこめているように感じている。
やすり霞の奥にある機能にアクセスしたいのに、なかなか目的の機能に辿り着かなかったり、操作が簡単に出来ない仕組みに変化している。

例えばWindowsの『設定』

以前は、設定を変えたいときはコントロールパネルを開けば自分がやりたい設定項目にすぐ辿りついていたが、Windows 8や10になって『設定』という新たな『すやり霞』が表面に表れる。
なれてしまえばいろいろと便利なのだろうけれど、開いても開いても、変更したい機能に辿り着かず、同じ項目をループしていたりすることも。

ループを2,3周ぐらいして気付く。ここにその機能は無い。と。
「ダメ、ここにはお父さんもお母さんもいないもん(千と千尋)」と。

タッチパットでの操作を想定して新設された すやり霞 なのかも知れない。

iCloudやgoogleのように、ユーザーに見えないシステムもとても増えた。
そして、どこの情報がどこに繋がっているのか、もうユーザーではコントロールできない状態になっている。。

システムが行うとおりに、ユーザーはなされるがまま。
どこかに連れて行かれようとしている気がしてならない。